カテゴリ:1980年代のモノクローム( 21 )

鎧の袖

先日、久々に「鎧の袖」という言葉というか文字を見た。
そして、その鎧の袖の画像を見せてもらったが

んっ???

ワタシのイメージはコレなんだが・・・・・

この風景はもう無いのか????
WEBでも最近撮ったっぽいのではないなー

※ザラザラは差し引いてみてもらいたい(スキャンの設定を間違えてたようで)


d0336159_17062666.jpg
ここって、シャッタータイミングがめちゃくちゃ難しい
来そうな時間に、下手すりゃ10分くらい
線路を見続ける事になる。

写真は1986年頃 色がKRしてるなー

by coffee8ban | 2017-03-11 17:14 | 1980年代のモノクローム | Comments(2)
スキャンデーター見てたら、こんなの撮ってたなー
っていうのが出てきた。

d0336159_20165662.jpg

大阪駅3、4番線ホームの時刻表
この写真、左側を撮影しておけば
関西-九州夜行とか東京-九州夜行の列車名が
あるんだよなー

多分、90年代後半には無くなっていたであろう
ホームの時刻表ですが、大きな駅にはどこでも
あったと思う。

これって見ての通りですが、乳白のデカイアクリルパネルに
裏から蛍光灯をあてており、
その表面に列車名やら時刻、番線、特記事項等を手書きで
短冊形状の透明アクリルに記し、一つ一つビス止めしていたんですね

時刻改正の前日の夜に、この表示の張替え作業が何処の駅でも
よくみられました。

この時代、ホームの列車表示もフラップ式(いわゆるパタパタ)
で、これが切り替わる際にとっくに廃止された列車名が一瞬でも見えると
お得な気分になったもんです。
この時代になかった、しおじ、つばめ、月光等々

d0336159_20170262.jpg
これはポートピア関連で雷鳥が三ノ宮延長された時のパタパタ表示


今やパソコンで入力するだけ
これ味があってよかったけどなー
この手の表示はパタパタが視認性も良く、雰囲気も好きでした。

by coffee8ban | 2017-03-09 20:40 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)
66のデーターとともに
こんなのもでてきた。


d0336159_20173785.jpg
餘部鉄橋 凸+長ナノ12系(白樺)
多分、1985年頃

この当時いわゆるジョイフルトレイン花盛りで
どこの管理局でも1本以上はこの手の列車を持っていた。
そして、その運用が今では考えられない広域運用で
この写真の長ナノ(いわゆるナノ座)も長野から山陰線まで
乗り入れたのである。
因みに南シナの江戸もここを通って鳥取方面に行った実績があります。
※これもデーターがありますので、いずれお見せします。

山陰線最後のブルトレ、出雲廃止の頃は餘部俯瞰が雑誌に掲載された
ものだから、誰もかれもが俯瞰場所に行ったようですが
この時代にここを俯瞰しているマニアさんはそんなにはいないと思われる。
実は超マイナー撮影地で、この写真もかなり荒っぽい方法で撮影している。
※木を切り倒すとかではありません。念のため

普通では撮影できない場所で、超メジャーな餘部俯瞰より立ち位置はかなり下
なんですね。

このアングルは多分、私しか撮った事がないと思われます。

この頃から俯瞰に取りつかれていたようで、その病気は不治の病で
当分治りそうにありません。

この写真、カラー(KR)もあるんですけど今回はモノクロです。

久々に見て、懐かしかったモノでつい(笑)

by coffee8ban | 2016-12-20 20:33 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

竜のゴハチ

最近投稿をさぼっているので
なにか掲載する事に
フォルダーを探していると、竜のゴハチがボロボロでてきたので
これを記事にする事に・・・・

さてさて
バブリーな頃(1980年代)に活躍していた関西マニアにはお馴染みの竜華機関区には
EF52亡き後に3種類の電機が配置されていた。
旅客用にはゴハチが、貨物にはEF15とED60が配置されており
他に入れ替えのDD13やらDE10が配置されており、併設の竜華客貨車区には波動輸送用に
14系、12系の座席車、はやたま用の10系寝台、43系座席車、荷物輸送のマニ36やら50やら
この頃には殆ど動く事のなかった62系グリーン車もあり、あんまり広いとは言えない割には
色々な車両が所属していたものである。

そのゴハチであるが、東海道山陽からの転属(主に宮原、広島からの転属)で今にして思えば
あまり調子の良くないカマが竜華に転属したようで、活躍期間が何故か短いカマばかりでした。
ゴハチの記念すべき第一号落成機にしてゴハチ第一号の廃車機でもある21号機も
広島(当時の呼び名では広島第二機関区)から転属して、少し動いたと思いきや
すぐに休車となり扇形車庫に押し込まれたかと思うと、確か宮原の43号機が転属すると
時を同じく、いつのまにか鷹取送りになっていたような。

その43号機も1年程度しか活躍していなかったように記憶している
その後もポロポロ転属しては休車になり、その後廃車の運命を短期間で辿り
ゴハチの姨捨山的な機関区でした。

なにせあまり広くない機関区、休車になると大体は湊町(いまでいうJR難波)
に送り込まれ、そこから鷹取に送り込まれ解体されるのであった。

その当時は広島やら下関やらのゴハチのブルトレ運用が新製ピカピカのPFに
置き換わった都合もあり、余剰で尚且つハードな運用をしていたこれらのゴハチは
次々と転属しては、ちょろっと使ってさっさと廃車になったようである。
そんな廃車の為の転属も一段落すると、使える機関車だけが同区に残るのあるが
その残ったゴハチのバリエーションも中々興味をそそるものあった。
大窓、小窓に白H支持、ひさしがあったりなかったり、パンタもデカイPS14
後期のPS15、連結器周りもP形やらノーマル、スノープラウの座無しの初期タイプ
と、形態フェチにはたまらない内容であったが、最大の欠点がなんといっても
あのブタ鼻ことヘッドライトのシールドビーム化である。
どうにもあのブタ鼻だけはなかなか受け入れられず、自ずと東海道、山陽、そして
上越、東北のゴハチに目がいきがちであった。

とはいえ、当時一番近い機関区という事もあり
東海道、山陽でこれといってなにもなければ、竜のゴハチ狙いで阪和やら紀勢にでかけた
ものである。

とくに青のゴハチ最後の大窓機である66号機が運用にはいると、ソレ狙いで出撃したもの
である。

そんな66号機の写真を少しばかり・・・・


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1982年2月 天王寺 阪和線ホームに佇む66号機
924レ はやたま
寒い時期なので、蒸気暖房の漏れた蒸気がゴハチの屋根からでている
客車は雑客で後ろには10系ハネが連結されていた。
普通列車といいながら、阪和線内は天王寺を出ると和歌山までノンストップであった。


d0336159_20514390.jpg
1982年2月天王寺
上の写真を正面から
機関士にお願いして、ライト減光、室内灯ONがこのころの夜間撮影でのスタイル
夜間で大窓を強調する為にはコレは必須

連結器周りは、P型であったため
20系牽引用の元空気ダメ管引き通しがそのまま残っている。

924レ はやたま は普通列車であるが愛称があった。
1980年代に4本の普通列車に愛称がつけられていた。
そのうちのひとつ、普通列車に愛称がついている理由は
皆さんご存知通り、座席指定(この場合は寝台)があり
マルスで発券する為に愛称が必要であった。


d0336159_20514380.jpg
1984年4月8日
竜華でお昼寝中の66号機
許可を得れば、機関区で撮影する事も当時はできた。


d0336159_20514177.jpg
浅香にてミハ座を従え、白浜へ
新型お座敷みやび が登場するまで
81系の座敷はあちこちに引っ張りだこ状態であった。
そして旧型客車という事もあり、ゴハチ牽引は外せなかった。
※暖房供給の為


d0336159_20510156.jpg
1982年6月 浅香
921レ はやたま
天王寺着が5:00ちょうどと始発列車より早い到着の為
撮影には苦労させられた列車である。
この撮影は良く覚えていて
トライXを2段増感してAS1600で撮影するも
1/250 50mmf1.4を開放で撮影した。
トンでもないスピードで走ってくるので、反射的にカメラをカマに合わせて
振ったが、これが正解で後ろの方は流れている。
10系ハネが前に2両もイイ感じ


d0336159_20515903.jpg
紀三井寺だったとおもう。
何かのイベントでHM付


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1985年6月2日 20系回送
この列車、どこぞで20系を買い取ったらしくその回送である。
阪和線で20系が走ったのはこれが最初で最後


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1985年7月21日
和歌山以南を走っていた普通列車用の編成をそのままイベントで使用
よってカマの次位はマニ50


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1986年1月15日 紀伊由良
このころは竜のゴハチも末期で、66号機が原型ヘッドライトに戻されて
初のイベント列車として走ったのがコレ


d0336159_20550451.jpg
1986年1月15日 紀伊由良
上の返しの列車

この頃はゴハチの置き換えでEF60 500番台が集中配置され
ゴハチも僚機のEF15,ED60とともに用途廃止となり、続々と廃車の運命をたどるのでありました。

そして、竜華機関区自体も地域再開発により無くなるのでありました。

で、その再開発も4年程前にこの近所を業務で訪れたが
確かにマンションは立ち並んでいたが、それだけで
そんなににぎわっているような、雰囲気ではなかった。
商業施設はないにしても、会社誘致やらもイマイチできてないような・・・・
久宝寺の駅の近所には竜華機関区があった事を示すプレートはありましたけどね。
往時を偲ぶものは、もうなにも残っていません。

by coffee8ban | 2016-12-18 22:40 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

80系がやってきた

ちょっと前に家族で京都鉄道博物館に行ってきた

鉄道博物館ブームの火付け役のJR東の大宮の鉄博やその後できた、JR海のリニア館
はopenから1年以上たってから訪れたが、平日でも開館1時間前には結構な行列で
なかなかの人気だった事もあり、まだできて間もない京都鉄道博物館には
さぞかし人が来るであろうと、開場の2時間前に到着する気合の入った予定で
イザ現地入りしたが、なんと駐車場には奇跡の1台目の入場どころか
誰もおらず、時折近くの住民が散歩やらジョギングで博物館の前を通る程度

そんな人気が無いの?と思うくらいのガラガラであったが
1時間前くらいには徐々に人も集まりだし、バスも多数入りだし
開場寸前にはざっと200人程度に人はいたと思う。

エントランスの先には
すっかり綺麗になった、交通科学博物館でお馴染みのC6226、80系、0系がお出迎えである。
d0336159_13300353.jpg
※SONYのスーパーコンデジで撮影(笑)

この京都鉄道博物館は、このブログに来られた方はよくご承知の通り、
大阪市港区の弁天町駅下の交通科学博物館と梅小路蒸気機関車館を合体させて、展示車両
を追加したのが、この京都鉄道博物館であるが(あくまでザックリの説明)
弁天町駅の下の交通科学博物館時代は当時、自宅が近所だった事もあり
めちゃくちゃ可愛らしい小学生時代の筆者は、なにかにつけてよくいったものである。

自宅からは先ず,今はその機能を停止してしまった弁天ふ頭に行き(ここには当時渡し舟があった)
そこから交通科学博物館に行き、満足したら共栄興業株式会社にその当時(今もそうですけど)完璧すぎる
状態で保存していた、C57148を見に行き海底トンネルを渡り帰宅するのが
定番の見学コースであった。

当時、名称も 交通科学博物館では無く、シンプルに交通科学館であった
その交通科学館に保存されている車両は今にして思うと少なく
機関車と言えば、C6226、D512、明治期のSLと他はマイテ49他由緒正しい旧客群
食堂車もナシ20は当時無く、旧客の食堂車&2等の合造車を2等席を取り払って
食堂車として営業していたのでした。
同時まだ0系のトップナンバーもバリバリの現役で展示されておらず
EF52もキハ81も紀勢で大活躍していたので、当然後の展示となる。
ちなみに、一番奥にあった巨大ジオラマはマイナーチェンジはあったものの、基本レイアウトは
当時のままで、閉館を迎える事になります。

そんな交通科学館も交通に関わる展示をジャンル分けして展示していた様に記憶している
WEBで探したが、なかなか40年前の交通科学博物館の展示物に関する記章もないので
非常に頼りない、ワタクシの記憶によると

ジャンル分けは
鉄道ゾーン(鉄道のはじまりと未来の鉄道、全国で活躍する車両とか信号設備に関する展示)
海上交通のゾーン(青函連絡船の操舵室のモックがあり、灯台の一部やら、船舶模型)
空の交通のゾーン(朝日新聞の双発機が天井からつるされていた、他にジェットエンジンとかYSのEgカットモデル)
陸上交通のゾーン(初代ドリーム号の展示とか、エンジン&走り装置のカットモデル、未来の乗り物の展示)
その他でサンフランシスコのケーブルカーのモックとか、実物の自連、密連の展示(恐ろしい事に実際に連結可能だった)
という感じのゾーン分け展示だったと記憶している。

その中で、鉄道ゾーンは151系、581系(運転室入出可、一部20系寝台を展示)、EF58(1/4程のみ先台車は張りぼて)
101系の(一部床と天井がスケルトン、扉開閉可能)各モック(もちろん1/1スケール)
があり、いつの間にかEF58と581系(一部20系)と青函連絡の操舵室のモックは撤去されていた。
ただ、151系と101系のモックは京都鉄道博物館に受け継がれています。

当時はモックの車両もバリバリ現役で車両展示となると、モックを作るしかない事情がありましたが
その後、0系が追加され、EF521が手狭な場所に押し込まれ
マイテ49は本線復帰し、空いたスペースに吹田で余剰になっていたDD13が展示されたりした。

この頃になると展示スペースも限界で、後に柳井でボロボロに放置プレイしていた80系トップナンバー2両
欠陥機関車の証拠車両(ヨーロピアンな鳩胸のアレです、察してください)、四国で運用終了した
船のエンジン搭載の機関車(これまた察してください)が展示される事になり、敷地を多少広げて
これらを迎えたのは1980年代の中頃と記憶している。

その中でも、80系は当時飯田線のその最後の姿を収めるべく、ある時は豊川あたりにいったり
ある時は辰野から田切を目指したりと、忙しく追いかけていた。

飯田線の80系は全車300番台の正面2枚窓であったため、3枚窓の80系はボロボロガタガタの柳井の
車両しかなかった。

そして、飯田線の80系は119系の登場で全車引退となったと同時期位に鉄道科学博物館に80系が
展示されるとアナウンスされ、やってきたのは2枚窓の80系ではなく
ブサイク(失礼)な3枚窓の80系がやってきたのである。

広島工場で復元工事を行い、山陽~東海道~奈良線~関西線~大阪環状線~貨物支線浪速駅
とめちゃくちゃ複雑な経路をたどり、浪速駅(貨物扱い専用駅)で陸送準備をし、3km先の交通科学博物館に陸送
されたのである。
その際の京都駅で回送の様子を
スジは記録していなかったのでよくワカランが
京都が夜でさほどマニアもいなかったような記憶がある。
こんな回送が今あろうものなら、大パニックになるんやろーな

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1986年1月7日 京都(以下同じ)
先ずはEF665牽引で3番線に入線
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カマが開放され広工で復元されたピカピカの80系があらわになる。
この時期では珍しく控え車がないこともあり、先頭車とご対面

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当時、電化完了していたが、流石に一度も走った事もないEF66は入線できず
奈良線を走るためDE10が連結される。

その後浪速駅に回送されるのでありました。

あれから30年
再び京都で80系とご対面するとは
ワカランものです。

余談であるが(この記事自体も余談みたいなものだが)
あらためてSLが保存される際の補修作業で、塗装のツヤ(7部ツヤ消しくらい)を落としている
のはイイ感じですよね。

昔は補修の際、塗装すると必ずテカテカの光沢塗装されていて安っぽく見えた(個人の感想)

by coffee8ban | 2016-11-07 19:50 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)
写真が出てきたのでご紹介

コレかなり笑えるネタです。

1980年代当時、国鉄はとてつもない赤字でヒーヒーのフーフー状態であった
少々の事ではとてつもない赤字は解消できるはずもなく、1970年代は
毎年の如く運賃値上げを行っていたが、それも限界に来た頃に
増収策の一環で1979年に東京北局でミステリー列車「銀河鉄道999」が
運転、上野からアンドロメダという烏山線の烏山駅に走らせたが
この時の抽選倍率が80倍近くになり、これはイケると味を占めた国鉄
はその後、全国各地でミステリートレインを乱発するのであった。

余談だが、天鉄局(わかってると思うが、天王寺鉄道管理局ね)は
まさしく乱発であった、小中学生が休みになる春、夏は毎週の如く
走らせていた。

使用車両も天ワカに余りまくっていた、キハ58&28がメインで使用され
松本零士系のHMを付けていたが、当時はまったく写欲がわかず
ほぼ撮影していなかった。

しかしそれも飽きだされた頃に東京南局(だったと思う)で企画されたのが
1981年に運転された、リバイバルトレインつばめであった

つばめ、はとが電化時点と似たようなダイヤで運転したのと
電化当時と同じ機関車(といっても東京機関区の虎の子ですが)
学習院のJDをつばめガールコスプレさせて、添乗させた事もあり
マスコミで大きく取り上げられ、これまた大人気となったのである。
14系×12に編成真ん中にオシ14を入れた13両編成で、乗車率100%で
尚且つ、東京~大阪500km超なもんですから、それなりに旨みもあった事
もあり、その後第二弾「つばめ、はと」第三弾「平和」と運転されるのでした。

東京機関区のロイヤルエンジン牽引のリバイバルトレインという事もあり
俄然ヤル気になり、第一段から欠席する事無く、参加したのであった。

今回の特選!お笑いネタは、第三弾の平和でございます。

この時はリバイバルトレインも3回目と言う事もあり、追っかけを計画
一発目に迎え撃つのは興津~由比、
撮影後、新幹線で追っかける無謀な事を行い、山崎で再度迎え撃つ計画であった。
先ずは興津~由比の9001レ ※全て1983年7月24日

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これを撮影後、急ぎ撤収
東海道普電~新幹線→京都~普電で山崎

そして山崎(いわゆる阪急クロス)でとんでもないオチがまっていたのである。


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内線の新快速とモロ被り(笑)


あまりにも悔しいので
ベタ焼き風にしてしまった(ベタ焼きってわかるでしょ)

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あれから30年以上たつが、未だに悔しいわ

by coffee8ban | 2016-07-28 21:37 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

Galaxy Express その3

そして、1980年代までいっきにタイムスリップ

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1979年 6月
宮原のエース53号機牽引の102レ




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1983年頃
関西のマニアにはお馴染みの百山
まだ奥の方にマンションはない


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1983年5月
20系の編成も今にして思えば長い


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これは後ろを撮影
20系ってバックシャンだね(って意味判るかな?)


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これはいわゆる救済臨
銀河51号です。
14系12bだが、あんまり人が乗っているような列車ではなかった。
やはり一晩座席は辛いわな



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これまた関西のマニアにはお馴染みの塚本


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これまた救済臨 銀河52号
たまに東京機関区のスノープラウ台座の無い
若番が入っていた。
この時代、救済臨で東京のゴハチがくるのも楽しみだった。
結構個性のつよいカマがいたからなー
しかし61は殆ど入らなかったと記憶している。
※その割に年末の臨荷レ(みかん臨)にはバシバシ入っていた。
許可を得て撮影

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1985年1月1日
珍しく、宮原機関区特製の謹賀新年マークをつけてやってきた。
この年は宮機で3枚の謹賀新年マークを用意して
定期や臨に付けまくっていた。
宮機持ちの列車も銀河、きたぐに(勿論客車)ちくま(勿論客車)
があったので、楽しませてもらった。
臨もゴハチにマークをつけアチコチウロウロしていた。



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特製マークを付けた、101レと1D
因みに101レはオサ着8:00で1Dは8:00発であったが
ほぼ101レが早着していたので、この並びは珍しくなかった。
1Dの方だがこの頃は閑散期には減車して9両編成もあったが
多客期は13両のトンでも長い編成だった。
因みに本州では最後のキハ80系列の食堂車営業列車だった。


d0336159_20522536.jpg




















そして、!Dが出発して編成があらわになる。



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102レと505M(だったかな? 夜行の立山ですわ)
夜行の立山もオフシーズンはガラガラ
しかし、夏山シーズンは殺人的込み方だった。
夜行立山は23時過ぎに発車だが、シーズンには
大阪駅の中央コンコースに自由席乗車待ちの列が夕方から
できていた。

あっ そうそう
銀河の話ですね
マークいいでしょ!

スキャナーの取り込みが悪くザラザラになった。


by coffee8ban | 2016-07-12 21:31 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

小浜線にC56がきた!

1989年4月 小浜線 大鳥羽~十村
d0336159_21175185.jpg
C56って小浜線を2回走ってるんだよね
1回目は1981年SL若狭
2回目はコレ越前若狭号
ここって小浜線でも有名撮影地でこの場所で20系の臨も撮った
事があるんですよね
しかし煙が綺麗に流れてるね

by coffee8ban | 2016-07-04 21:21 | 1980年代のモノクローム | Comments(2)

1983年11月の保津峡

まだ旧山陰本線の頃の雑客
夕方の斜光が美しく、たまにここに行ったものです。
いまでは、トロッコ列車専用路線です。
この頃は雑客10両なんて珍しくもなかった。

d0336159_21502563.jpg

K藤さん、手持ちのKRのスキャン画像でとりあえず出てきたヤツです。
またKRのスキャンした画像UPします。
しばしお待ちを!


by coffee8ban | 2016-07-03 21:55 | 1980年代のモノクローム | Comments(2)

山陰線最後のオハニ36

昔の写真から

1986年頃だったと思うが、山陰線の浜坂から東に向けての
普通列車には行商のおばちゃんの為に
最後まで残っていた、合造車だったオハニ3611が
この年だったか、翌年だったか忘れたが無くなった。

国鉄線上の最後の合造旧客であった。

1986年の寒い時期にこれを狙いに行った記録をご紹介

オハニ3611は確か(うる覚えですが)
浜坂を朝の4時台に出る834レで、福知山を折り返しの夕方に出る
523レで浜坂に戻る運用だったと記憶している。
下関側にオハニは付いているのだが、なぜか夕方の523レの
走行写真は撮影していない。


冬に福知山でバルブしたのがこの写真である。
d0336159_21453509.jpg
1986年 福知山 523レ
 
5両であるが後ろの3両は豊岡で切り離したと記憶している。

そして
浜坂での834レ
d0336159_21455978.jpg
d0336159_21463089.jpg

18切符を駆使して、旧客をあちこちで撮り
浜坂駅マルヨで、この撮影に挑んだのである。

今見ると客車の後ろから蒸気が漏れててイイ感じですね
オハニ3611も番号の通り、EG対応しておらず
長らく西日本を中心に活躍していたようである。

このオハニ36を用いた行商専用車両であるが
確かに浜坂から行商おばちゃんは乗っていた。
当時国鉄は推測であるが、行商のおばちゃんが持ち込む
乾物類を荷物室に置いて、客室は行商おばちゃんと一般
の旅客が利用する事を想定していたでのしょうが
※あくまで推測です。
実際のところ、この行商おばちゃんズはかなり我が強く
というか、凶暴というか、気の強いというか
荷物室に乾物を置くのではなく、おばちゃんが乗車して
そのまま、山側のボックス席に乾物の入った箱を並べ
そのおばちゃんは反対側の海側に足を投げ出し、ボックスを占領していた
のである。
何人かの行商おばちゃんズは当然顔見知りで、座る座席も決まって
いて、一般客が乗ろうとすると
ココは行商専用やから、隣に行って!とか言われる始末
当然、マニアなんぞ軽くあしらわれたのである(笑)
そんなオハニも旧客もろとも廃止され、12系改の
客車列車に生まれ変わるのでした。

そしてそして、あれから30年
オハニ3611はというと、ご存じのとおり今で現役で
JREのイベント列車になっているのでありました。
d0336159_10014011.jpg
2013年10月16日 奥羽本線 SLあきたこまち(なまはげも同乗)
カマは見てのとおりC61です、煙がでてませんが電気では走ってません。
JREって無煙石炭でも開発したのかwwwwww
この写真は行き当たりで撮影したが、ホンマ煙が出ない!

今じゃイベント客車ですが、末永く活躍してほしいものであります。

by coffee8ban | 2016-06-05 10:07 | 1980年代のモノクローム | Comments(3)

鉄やその他色々


by coffee8ban
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