超メジャー撮影地になる前の餘部俯瞰

66のデーターとともに
こんなのもでてきた。


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餘部鉄橋 凸+長ナノ12系(白樺)
多分、1985年頃

この当時いわゆるジョイフルトレイン花盛りで
どこの管理局でも1本以上はこの手の列車を持っていた。
そして、その運用が今では考えられない広域運用で
この写真の長ナノ(いわゆるナノ座)も長野から山陰線まで
乗り入れたのである。
因みに南シナの江戸もここを通って鳥取方面に行った実績があります。
※これもデーターがありますので、いずれお見せします。

山陰線最後のブルトレ、出雲廃止の頃は餘部俯瞰が雑誌に掲載された
ものだから、誰もかれもが俯瞰場所に行ったようですが
この時代にここを俯瞰しているマニアさんはそんなにはいないと思われる。
実は超マイナー撮影地で、この写真もかなり荒っぽい方法で撮影している。
※木を切り倒すとかではありません。念のため

普通では撮影できない場所で、超メジャーな餘部俯瞰より立ち位置はかなり下
なんですね。

このアングルは多分、私しか撮った事がないと思われます。

この頃から俯瞰に取りつかれていたようで、その病気は不治の病で
当分治りそうにありません。

この写真、カラー(KR)もあるんですけど今回はモノクロです。

久々に見て、懐かしかったモノでつい(笑)

by coffee8ban | 2016-12-20 20:33 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

竜のゴハチ

最近投稿をさぼっているので
なにか掲載する事に
フォルダーを探していると、竜のゴハチがボロボロでてきたので
これを記事にする事に・・・・

さてさて
バブリーな頃(1980年代)に活躍していた関西マニアにはお馴染みの竜華機関区には
EF52亡き後に3種類の電機が配置されていた。
旅客用にはゴハチが、貨物にはEF15とED60が配置されており
他に入れ替えのDD13やらDE10が配置されており、併設の竜華客貨車区には波動輸送用に
14系、12系の座席車、はやたま用の10系寝台、43系座席車、荷物輸送のマニ36やら50やら
この頃には殆ど動く事のなかった62系グリーン車もあり、あんまり広いとは言えない割には
色々な車両が所属していたものである。

そのゴハチであるが、東海道山陽からの転属(主に宮原、広島からの転属)で今にして思えば
あまり調子の良くないカマが竜華に転属したようで、活躍期間が何故か短いカマばかりでした。
ゴハチの記念すべき第一号落成機にしてゴハチ第一号の廃車機でもある21号機も
広島(当時の呼び名では広島第二機関区)から転属して、少し動いたと思いきや
すぐに休車となり扇形車庫に押し込まれたかと思うと、確か宮原の43号機が転属すると
時を同じく、いつのまにか鷹取送りになっていたような。

その43号機も1年程度しか活躍していなかったように記憶している
その後もポロポロ転属しては休車になり、その後廃車の運命を短期間で辿り
ゴハチの姨捨山的な機関区でした。

なにせあまり広くない機関区、休車になると大体は湊町(いまでいうJR難波)
に送り込まれ、そこから鷹取に送り込まれ解体されるのであった。

その当時は広島やら下関やらのゴハチのブルトレ運用が新製ピカピカのPFに
置き換わった都合もあり、余剰で尚且つハードな運用をしていたこれらのゴハチは
次々と転属しては、ちょろっと使ってさっさと廃車になったようである。
そんな廃車の為の転属も一段落すると、使える機関車だけが同区に残るのあるが
その残ったゴハチのバリエーションも中々興味をそそるものあった。
大窓、小窓に白H支持、ひさしがあったりなかったり、パンタもデカイPS14
後期のPS15、連結器周りもP形やらノーマル、スノープラウの座無しの初期タイプ
と、形態フェチにはたまらない内容であったが、最大の欠点がなんといっても
あのブタ鼻ことヘッドライトのシールドビーム化である。
どうにもあのブタ鼻だけはなかなか受け入れられず、自ずと東海道、山陽、そして
上越、東北のゴハチに目がいきがちであった。

とはいえ、当時一番近い機関区という事もあり
東海道、山陽でこれといってなにもなければ、竜のゴハチ狙いで阪和やら紀勢にでかけた
ものである。

とくに青のゴハチ最後の大窓機である66号機が運用にはいると、ソレ狙いで出撃したもの
である。

そんな66号機の写真を少しばかり・・・・


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1982年2月 天王寺 阪和線ホームに佇む66号機
924レ はやたま
寒い時期なので、蒸気暖房の漏れた蒸気がゴハチの屋根からでている
客車は雑客で後ろには10系ハネが連結されていた。
普通列車といいながら、阪和線内は天王寺を出ると和歌山までノンストップであった。


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1982年2月天王寺
上の写真を正面から
機関士にお願いして、ライト減光、室内灯ONがこのころの夜間撮影でのスタイル
夜間で大窓を強調する為にはコレは必須

連結器周りは、P型であったため
20系牽引用の元空気ダメ管引き通しがそのまま残っている。

924レ はやたま は普通列車であるが愛称があった。
1980年代に4本の普通列車に愛称がつけられていた。
そのうちのひとつ、普通列車に愛称がついている理由は
皆さんご存知通り、座席指定(この場合は寝台)があり
マルスで発券する為に愛称が必要であった。


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1984年4月8日
竜華でお昼寝中の66号機
許可を得れば、機関区で撮影する事も当時はできた。


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浅香にてミハ座を従え、白浜へ
新型お座敷みやび が登場するまで
81系の座敷はあちこちに引っ張りだこ状態であった。
そして旧型客車という事もあり、ゴハチ牽引は外せなかった。
※暖房供給の為


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1982年6月 浅香
921レ はやたま
天王寺着が5:00ちょうどと始発列車より早い到着の為
撮影には苦労させられた列車である。
この撮影は良く覚えていて
トライXを2段増感してAS1600で撮影するも
1/250 50mmf1.4を開放で撮影した。
トンでもないスピードで走ってくるので、反射的にカメラをカマに合わせて
振ったが、これが正解で後ろの方は流れている。
10系ハネが前に2両もイイ感じ


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紀三井寺だったとおもう。
何かのイベントでHM付


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1985年6月2日 20系回送
この列車、どこぞで20系を買い取ったらしくその回送である。
阪和線で20系が走ったのはこれが最初で最後


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1985年7月21日
和歌山以南を走っていた普通列車用の編成をそのままイベントで使用
よってカマの次位はマニ50


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1986年1月15日 紀伊由良
このころは竜のゴハチも末期で、66号機が原型ヘッドライトに戻されて
初のイベント列車として走ったのがコレ


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1986年1月15日 紀伊由良
上の返しの列車

この頃はゴハチの置き換えでEF60 500番台が集中配置され
ゴハチも僚機のEF15,ED60とともに用途廃止となり、続々と廃車の運命をたどるのでありました。

そして、竜華機関区自体も地域再開発により無くなるのでありました。

で、その再開発も4年程前にこの近所を業務で訪れたが
確かにマンションは立ち並んでいたが、それだけで
そんなににぎわっているような、雰囲気ではなかった。
商業施設はないにしても、会社誘致やらもイマイチできてないような・・・・
久宝寺の駅の近所には竜華機関区があった事を示すプレートはありましたけどね。
往時を偲ぶものは、もうなにも残っていません。

by coffee8ban | 2016-12-18 22:40 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)