武田尾界隈4

その4

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この当時の武田尾界隈と言えば、コレ
だいせん6号
これは武田尾~生瀬
この辺りを通過する時間が早すぎて、大阪から始発でも間に合わなかった
よってバイクでここを訪れた。

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武田尾から道場側のトンネルを抜けてスグのところ

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武田尾から生瀬が側のトンネルの上

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モチロン俯瞰もある。

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これはお気に入りの場所で、誰にも教えた事のないナイショの場所だった。
場所が場所だけに誰もこれなかった場所でもある。
なにせカメラ1台、首から掛け
木に5m程よじ登って撮影
若かりし頃のアレですわ

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この20系はだいせんでは無い
当時の海水浴臨、但馬ビーチ1号
たしか急行扱いだった。
この列車は大阪を8時に出て、山陰本線の香住13時半に着く昼行急行である。
よって、寝台を解体して珍しいヒルネ使用で運転されていた。
今にして思えば、ヒルネ仕様の20系なんてめったになかったので、乗ればよかった。

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これも但馬ビーチ1号
それにしても、上段帯の無い20系はカッコ悪いね

その5につづく

# by coffee8ban | 2018-07-27 22:17 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

武田尾界隈3

その3である。

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前回の凸凸+12系のカラーバージョン
この時代は勿論KRで撮影
ロット毎に感度が微妙に異なるややこしいフィルムであった。
わざわざ、心斎橋のカメラのナニワとか梅田のドイ、大林とかにフィルム買うついでにデーターシートも
付けてもらった。
中学~高校くらいに時期は梅田の大阪駅前第3、4ビルによく中古カメラを見に行ったものです。
16才の時にNikonデビュー(それまでcanon)した際のF2フォトミックも増殖しまくった単焦点レンズ群も、その殆どは
この界隈で手に入れた。
とにかく中古カメラ店が多く、めちゃくちゃ楽しめた場所でした。
いまでもあるのかな?
大阪駅直下の八百富カメラは、時間があるとちょっと寄り道して見に行くが
大阪駅前第3、4ビルまではすっかりいかなくなった。

懐かしついでに
当時(1980年代)モノクロフィルムやら印画紙、現像液等々の写真材料はよく心斎橋のカメラのトダで購入した。
大阪では有名なカメラのナニワのCM「大丸、そごうの間を東へ50歩のカメラのナニワ」をさらに50歩あるいて角を右に曲がると
カメラのトダがあった。
さらにそこから50歩あるいて、角を右まがり50歩あるくとカメラのドイがあった(笑)

※この時代のカメラ屋は店の表記がカタカナがトレンドだった。

とにかく激安で、長尺モノクロフィルムを適当にパトローネに入れてワゴン販売していた、関西唯一の店舗でした。
そのカメラのトダも店舗がなくなり、ネット販売にシフトしていったが、2000年代初めにトダのネット販売で
バケペンの300mmEDレンズ(価格はよく覚えてるぞー 30万(笑))を購入して後、少ししてネットショップも無くなり
会社自体も無くなったようです。
1980年代はあの狭い店舗に人だらけだったのですがねー(関西在住の人にしかワカラン内容ですな、スミマセン)
昔話はさておきつづき


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これは80系時代のまつかぜ
前から3両目にキシ80もバッチリ繋がったいた(モチロン営業中)
大阪口のキハの特急もこの博多行き まつかぜはやたら長かった
繁忙期は13両でしたからねー
1970年代の大阪~九州の昼行特急並の長さでした。

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時代がバラバラ
これは12系が普通格下げしだした時期の普通列車
マニ50もちゃんと繋がってます。
後ろの高架橋は中国自動車道
山陽道がまだなかったので、やまぐち行きと言えばこれを通ってました。
まだ北房から先が片側1車線だったり、途中に山崎バリアなる検札場もありましたな(みなさん覚えてるでしょ)


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旧武田尾駅
腕木信号は現役です。
駅長室のとなりに転轍器を操作する小屋があり、電動式でもなくスプリングポイントでもなかった為
しょちゅうガッタン、ガッタンと動かしていた。
みかけはローカル線の山間の駅だが、列車本数はかなり多く忙しくしていた。

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これは新武田尾駅付近から見た旧武田尾駅
大阪駅から1時間程でこんな風景に出会えた。

その4につづく

# by coffee8ban | 2018-07-18 21:06 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

武田尾界隈2

その2である。

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181系になった まつかぜ

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一時期50系も走っていた。
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福知山線と言えばコレ
だいせん6号
1号~4号はキハ58(28)の昼行急行で5号と6号は夜行で20系だった
この頃は大社線の大社までのりいれていたが、この後出雲市行きに変更になり
1990年には大社線が廃止となる。
とにかく朝の早い列車で、武田尾界隈での撮影となると
武田尾でマルヨするか、車で行かないと撮影できなかった
それも夏至の時期だけ
私はバイクで当地を訪れた。


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珍しく、24系ハネの団臨が入線
福知山線に24系が走る事はまずなかった。
と書いておきながら、出雲の迂回はあったかもしれんが
私の記憶では伯備線を迂回させてたような・・・・・

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こちらも珍しく凸凸の12系

次に続く

# by coffee8ban | 2018-07-11 20:37 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

武田尾界隈1

1980年代初め、手軽に行ける渓谷という事もあり
よくこの辺りをウロウロしながら撮影したものです。
その一部です。

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1986年 雑客も徐々に淘汰され、12系が帯を消して普通列車運用に入ってきた時期

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これも普通列車
12系の帯が全ての残っている。

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キハ47×4
武田尾駅から20分も歩けばこんな風に撮れた

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これは生瀬~武田尾の山の中から撮影
上から撮ると雑客と判りにくい

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これも雑客
ゴツゴツした大きな巨石が多いのがこの辺りの武庫川の特徴

次回につづく

# by coffee8ban | 2018-06-24 21:05 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)
前回、妙見線の川西能勢口~川西国鉄前について掲載したが
これはその1年後に何回か訪れた、ノセ電の記録であります。

前回の記事通り、ノセ電のオリジナル車は1981年で引退したが
他の車両はというと、100%阪急からの譲渡車両でしかも阪急時代のまま
ノセ電に譲渡されていた。
しかも、この当時は全ての車両が戦前製の車両である為、動く阪急電鉄博物館状態であった。
当時の国鉄でも戦前製の車両はあるにはあった。
セノハチのプッシャーとか飯田線の旧国、各地の車両区にあった救援者やら控え車等々
しかしこれらの車両も続々と無くなり、それどころか新性能電車も関西の新快速運用の153系も
117系に代わって、広島やら山口地区でローカル輸送に活躍していた153系も休車になって
あちこちの駅の側線に疎開され、放置されていた時期であった。
ノセ電はというと、戦前に面影を残した状態でバリバリの現役車両であった。

目立った改造はされず、戦前のお上品な元阪神急行電鉄時代の車両が
そのままの姿で活躍しておりまして、何度か撮影に訪れたものです。

そんな当時の記録から

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のどかな風景の中を走る、610系 
車両の短さがよく判る。
ただ、この車両は1920年代の51形木造電車のアコモ改善で車体を載せ替えた為
車体長は15mだが、車体巾は阪急標準規格になっており中型車とよばれていた。
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610系には非貫通バージョンのあった。


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これも610系、貫通バージョン

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610系貫通バージョンだが、運転席の反対側の窓がHゴム支持に変更されている。

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平野車庫に佇む、500系と610系
500系は小型車と呼ばれ
車体長は15mだが車体巾が阪急標準規格より狭く、乗降扉にステップがついている。

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これも平野車庫
新製当時の車体で一番古い320系と500系
320系は1935年製である。
両社共小型車であり、この写真からも車体巾の狭さがわかる。

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610系
見ての通り、非冷房である。

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笹部に停車中の610系
この時代はなんだかんだで、中型車の610系が主力であった。
小型車は輸送量が低くなる為、日生線が活躍の場であった。

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川西能勢口に待機中の610系と
回送の320系
日生線への回送である。
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川西能勢口名物のR30カーブ(制限15km/h)50mmレンズで撮影しても
こんな感じで撮れた(笑)

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当時の山下駅の引上線には、廃止になった川西能勢口~川西国鉄前に使用されていた単車の51形の予備の
61形が廃車になって、留置されていた。

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61形の後ろには51形も留置されていた。
運用から外れて1年以上経過しているが、まだまだ現役感がある。

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こちらは平野車庫の奥で倉庫になっていた
60形と32型

これらの車両も1992年までには全て淘汰されて、戦前の阪急車両は全て姿を消してしまいました。
倉庫代わりのの車両も最後まで活躍していた51形等のノセ電オリジナル車両も1両も保存されることなく
全て解体されました。

# by coffee8ban | 2018-06-06 22:26 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

鉄やその他色々


by coffee8ban
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