カテゴリ:1980年代のモノクローム( 28 )

武田尾界隈4

その4

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この当時の武田尾界隈と言えば、コレ
だいせん6号
これは武田尾~生瀬
この辺りを通過する時間が早すぎて、大阪から始発でも間に合わなかった
よってバイクでここを訪れた。

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武田尾から道場側のトンネルを抜けてスグのところ

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武田尾から生瀬が側のトンネルの上

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モチロン俯瞰もある。

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これはお気に入りの場所で、誰にも教えた事のないナイショの場所だった。
場所が場所だけに誰もこれなかった場所でもある。
なにせカメラ1台、首から掛け
木に5m程よじ登って撮影
若かりし頃のアレですわ

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この20系はだいせんでは無い
当時の海水浴臨、但馬ビーチ1号
たしか急行扱いだった。
この列車は大阪を8時に出て、山陰本線の香住13時半に着く昼行急行である。
よって、寝台を解体して珍しいヒルネ使用で運転されていた。
今にして思えば、ヒルネ仕様の20系なんてめったになかったので、乗ればよかった。

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これも但馬ビーチ1号
それにしても、上段帯の無い20系はカッコ悪いね

その5につづく

by coffee8ban | 2018-07-27 22:17 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

武田尾界隈3

その3である。

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前回の凸凸+12系のカラーバージョン
この時代は勿論KRで撮影
ロット毎に感度が微妙に異なるややこしいフィルムであった。
わざわざ、心斎橋のカメラのナニワとか梅田のドイ、大林とかにフィルム買うついでにデーターシートも
付けてもらった。
中学~高校くらいに時期は梅田の大阪駅前第3、4ビルによく中古カメラを見に行ったものです。
16才の時にNikonデビュー(それまでcanon)した際のF2フォトミックも増殖しまくった単焦点レンズ群も、その殆どは
この界隈で手に入れた。
とにかく中古カメラ店が多く、めちゃくちゃ楽しめた場所でした。
いまでもあるのかな?
大阪駅直下の八百富カメラは、時間があるとちょっと寄り道して見に行くが
大阪駅前第3、4ビルまではすっかりいかなくなった。

懐かしついでに
当時(1980年代)モノクロフィルムやら印画紙、現像液等々の写真材料はよく心斎橋のカメラのトダで購入した。
大阪では有名なカメラのナニワのCM「大丸、そごうの間を東へ50歩のカメラのナニワ」をさらに50歩あるいて角を右に曲がると
カメラのトダがあった。
さらにそこから50歩あるいて、角を右まがり50歩あるくとカメラのドイがあった(笑)

※この時代のカメラ屋は店の表記がカタカナがトレンドだった。

とにかく激安で、長尺モノクロフィルムを適当にパトローネに入れてワゴン販売していた、関西唯一の店舗でした。
そのカメラのトダも店舗がなくなり、ネット販売にシフトしていったが、2000年代初めにトダのネット販売で
バケペンの300mmEDレンズ(価格はよく覚えてるぞー 30万(笑))を購入して後、少ししてネットショップも無くなり
会社自体も無くなったようです。
1980年代はあの狭い店舗に人だらけだったのですがねー(関西在住の人にしかワカラン内容ですな、スミマセン)
昔話はさておきつづき


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これは80系時代のまつかぜ
前から3両目にキシ80もバッチリ繋がったいた(モチロン営業中)
大阪口のキハの特急もこの博多行き まつかぜはやたら長かった
繁忙期は13両でしたからねー
1970年代の大阪~九州の昼行特急並の長さでした。

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時代がバラバラ
これは12系が普通格下げしだした時期の普通列車
マニ50もちゃんと繋がってます。
後ろの高架橋は中国自動車道
山陽道がまだなかったので、やまぐち行きと言えばこれを通ってました。
まだ北房から先が片側1車線だったり、途中に山崎バリアなる検札場もありましたな(みなさん覚えてるでしょ)


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旧武田尾駅
腕木信号は現役です。
駅長室のとなりに転轍器を操作する小屋があり、電動式でもなくスプリングポイントでもなかった為
しょちゅうガッタン、ガッタンと動かしていた。
みかけはローカル線の山間の駅だが、列車本数はかなり多く忙しくしていた。

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これは新武田尾駅付近から見た旧武田尾駅
大阪駅から1時間程でこんな風景に出会えた。

その4につづく

by coffee8ban | 2018-07-18 21:06 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

武田尾界隈2

その2である。

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181系になった まつかぜ

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一時期50系も走っていた。
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福知山線と言えばコレ
だいせん6号
1号~4号はキハ58(28)の昼行急行で5号と6号は夜行で20系だった
この頃は大社線の大社までのりいれていたが、この後出雲市行きに変更になり
1990年には大社線が廃止となる。
とにかく朝の早い列車で、武田尾界隈での撮影となると
武田尾でマルヨするか、車で行かないと撮影できなかった
それも夏至の時期だけ
私はバイクで当地を訪れた。


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珍しく、24系ハネの団臨が入線
福知山線に24系が走る事はまずなかった。
と書いておきながら、出雲の迂回はあったかもしれんが
私の記憶では伯備線を迂回させてたような・・・・・

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こちらも珍しく凸凸の12系

次に続く

by coffee8ban | 2018-07-11 20:37 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

武田尾界隈1

1980年代初め、手軽に行ける渓谷という事もあり
よくこの辺りをウロウロしながら撮影したものです。
その一部です。

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1986年 雑客も徐々に淘汰され、12系が帯を消して普通列車運用に入ってきた時期

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これも普通列車
12系の帯が全ての残っている。

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キハ47×4
武田尾駅から20分も歩けばこんな風に撮れた

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これは生瀬~武田尾の山の中から撮影
上から撮ると雑客と判りにくい

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これも雑客
ゴツゴツした大きな巨石が多いのがこの辺りの武庫川の特徴

次回につづく

by coffee8ban | 2018-06-24 21:05 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)
前回、妙見線の川西能勢口~川西国鉄前について掲載したが
これはその1年後に何回か訪れた、ノセ電の記録であります。

前回の記事通り、ノセ電のオリジナル車は1981年で引退したが
他の車両はというと、100%阪急からの譲渡車両でしかも阪急時代のまま
ノセ電に譲渡されていた。
しかも、この当時は全ての車両が戦前製の車両である為、動く阪急電鉄博物館状態であった。
当時の国鉄でも戦前製の車両はあるにはあった。
セノハチのプッシャーとか飯田線の旧国、各地の車両区にあった救援者やら控え車等々
しかしこれらの車両も続々と無くなり、それどころか新性能電車も関西の新快速運用の153系も
117系に代わって、広島やら山口地区でローカル輸送に活躍していた153系も休車になって
あちこちの駅の側線に疎開され、放置されていた時期であった。
ノセ電はというと、戦前に面影を残した状態でバリバリの現役車両であった。

目立った改造はされず、戦前のお上品な元阪神急行電鉄時代の車両が
そのままの姿で活躍しておりまして、何度か撮影に訪れたものです。

そんな当時の記録から

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のどかな風景の中を走る、610系 
車両の短さがよく判る。
ただ、この車両は1920年代の51形木造電車のアコモ改善で車体を載せ替えた為
車体長は15mだが、車体巾は阪急標準規格になっており中型車とよばれていた。
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610系には非貫通バージョンのあった。


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これも610系、貫通バージョン

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610系貫通バージョンだが、運転席の反対側の窓がHゴム支持に変更されている。

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平野車庫に佇む、500系と610系
500系は小型車と呼ばれ
車体長は15mだが車体巾が阪急標準規格より狭く、乗降扉にステップがついている。

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これも平野車庫
新製当時の車体で一番古い320系と500系
320系は1935年製である。
両社共小型車であり、この写真からも車体巾の狭さがわかる。

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610系
見ての通り、非冷房である。

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笹部に停車中の610系
この時代はなんだかんだで、中型車の610系が主力であった。
小型車は輸送量が低くなる為、日生線が活躍の場であった。

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川西能勢口に待機中の610系と
回送の320系
日生線への回送である。
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川西能勢口名物のR30カーブ(制限15km/h)50mmレンズで撮影しても
こんな感じで撮れた(笑)

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当時の山下駅の引上線には、廃止になった川西能勢口~川西国鉄前に使用されていた単車の51形の予備の
61形が廃車になって、留置されていた。

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61形の後ろには51形も留置されていた。
運用から外れて1年以上経過しているが、まだまだ現役感がある。

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こちらは平野車庫の奥で倉庫になっていた
60形と32型

これらの車両も1992年までには全て淘汰されて、戦前の阪急車両は全て姿を消してしまいました。
倉庫代わりのの車両も最後まで活躍していた51形等のノセ電オリジナル車両も1両も保存されることなく
全て解体されました。

by coffee8ban | 2018-06-06 22:26 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)
ココを閲覧されている皆様はご存じでしょうから、余計な説明は無しで
1981年に能勢電鉄の妙見線の一部であった、川西能勢口~川西国鉄前間が廃止になった。
能勢電で阪急以外で他社連絡していた、由一の路線であった
ただ、連絡してるといってもこの路線は全長700m(600mともいわれている)しかなく
尚且つ、この鉄道会社自体が自社沿線を宅地開発してそこから大阪方面への輸送確保する
箕面有馬電気軌道(今の阪急)小林一三方式で乗客を確保している歴史もあり、能勢電沿線から
大阪方面に通勤するにしても、川西能勢口まで行けば、そこから阪急が梅田までバンバン
電車を走らせており、わざわざ一部単線の非電化であった国鉄福知山線に乗り換えてまで
大阪を目指す乗客は殆どおらず、需要も僅かしかなかった事もあり、廃止の頃にはダイヤも
朝7時台に3往復、夕方17時台と18時台に各1往復の5往復しかなかった。
しかもたったの700mしか駅間が無いので、不便な福知山線より便利な阪急を利用する乗客の方
が多かったのではなかったかと・・・
ただ、1981年は福知山線も宝塚まで複線電化が完了しており、キハや凸+雑客、そして黄色の103系
も走り出しておりました。
そんな盲腸線みたいな川西能勢口~川西国鉄駅前間は能勢電オリジナル単車の最後の活躍の舞台という事で
何度か撮影をしましたが、なにせ700m(笑)
撮る場所もこれといってないし、昼間に走ってないしで、この程度しか撮影していない。


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川西能勢口で待機している、最後の能勢電オリジナル車
沿線は昭和40年代風である。(といっても昭和56年撮影だが)

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これは川西国鉄前駅の駅票
ちなみにこの駅はホームとこの駅票しかない。
左下の時刻表に妙見口行きとあるが、直通は無く
川西能勢口で乗り換えなければいけない。

そして廃止の頃
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川西能勢口で待機中の51形


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廃止を知らせる看板

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こちらは、川西国鉄前駅
最後のお見送りに行ったが・・・・・
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これは最終の列車
いったいワシは何を撮ってるのだ(笑)
最後の列車が混雑するのは今も昔もおなじです。

能勢電最後のオリジナル車両であったが、保存される事もなく
いつのまにか無くなった(解体?)様です。

by coffee8ban | 2018-06-03 19:05 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

LAN

1週間前の2017年10月22日
テレビではどの放送局も衆議院総選挙の速報番組をやりまくっている最中
同じ時に関西の奈良~大阪に流れる大和川は大変な事になっていた。
関西本線の三郷駅(「みさと」と呼んではいけない「さんごう」と読む)と
阪和線の浅香駅は改札が水没してしまう被害に見舞われた。
実は悪夢再びで
この災害とよく似た災害が35年前にありまして、1982年8月に同じ大和川が氾濫しまして
今回被災した三郷駅の奈良寄りの王寺駅が被災しまして、殆ど取り上げられてないが、
阪和線の浅香も改札が被災しました(当時は自動改札で無かったので、そこまで混乱しなかったが)
浅香駅は改札周辺が水浸しというか、泥らだけになったのですが
甚大な被害になったのは、王寺駅でして
ホーム下浸水に見舞われまして、101系60両と113系40両が被災しました。
当時101系も113系も天ナラ所属でしたが、まとまった電留線は王寺にしかありませんで
始発用に湊町と奈良に数編成ある以外は王寺で留置する事もあり関西線の大半の電車が被災してしまう悲劇となりました。
101系は初期車が多かった事もあり全て廃車となり、113系については復旧するとの事になりましたが
一夜にして100両の電車を失ってしまった関西線はてんやわんやで、関東で運用を外れていた101系が大量に転入となり
当時、緑一色の関西線101系はオレンジ、ウグイス、グリーンと色々な色が入り乱れ
急ごしらえで転出した事もあり、路線図やら広告は関東仕様のまま運用についたりと
半年近くは色々混乱したように記憶しております。

台風が通過して、王寺駅が被災したとの報があり
とにもかくにも、被災電車を疎開又は工場に送り込む事になり
被災翌日から疎開及び入場回送が運転されました
その記録を少し・・・・

※タイトルのLANは台風21号の事です。

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浅香にて
鳳に疎開の101系2編成 12両
判りにくいが、101系の床下は泥で白く変色している。
控え車を繋ぐ事無く回送

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天王寺にて
こちらはヨが控え車で連結
湊町疎開

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久宝寺にて
鷹取工場か高砂工場への送り込み?

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三郷付近

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王寺

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これは関西線運用に入れる為の回送


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DD51初期番台も大活躍

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カマが足らずに梅小路でお昼寝していた東京のPFも回送を手伝わされた
京都にて


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関西本線の被災とは関係ないが
本線もダイヤが乱れまくり、夜行も途中で打ち切りになったりした
カマの運用も乱れまくり、どいう訳か14系の臨を富士のHMを付けたPFが牽引してきた。
さながら(臨)特急 富士51号(笑)

当時かなりムキになって追っかけた関西線災害回送です。
楽しめましたかwww

by coffee8ban | 2017-10-30 21:58 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

鎧の袖

先日、久々に「鎧の袖」という言葉というか文字を見た。
そして、その鎧の袖の画像を見せてもらったが

んっ???

ワタシのイメージはコレなんだが・・・・・

この風景はもう無いのか????
WEBでも最近撮ったっぽいのではないなー

※ザラザラは差し引いてみてもらいたい(スキャンの設定を間違えてたようで)


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ここって、シャッタータイミングがめちゃくちゃ難しい
来そうな時間に、下手すりゃ10分くらい
線路を見続ける事になる。

写真は1986年頃 色がKRしてるなー

by coffee8ban | 2017-03-11 17:14 | 1980年代のモノクローム | Comments(2)
スキャンデーター見てたら、こんなの撮ってたなー
っていうのが出てきた。

d0336159_20165662.jpg

大阪駅3、4番線ホームの時刻表
この写真、左側を撮影しておけば
関西-九州夜行とか東京-九州夜行の列車名が
あるんだよなー

多分、90年代後半には無くなっていたであろう
ホームの時刻表ですが、大きな駅にはどこでも
あったと思う。

これって見ての通りですが、乳白のデカイアクリルパネルに
裏から蛍光灯をあてており、
その表面に列車名やら時刻、番線、特記事項等を手書きで
短冊形状の透明アクリルに記し、一つ一つビス止めしていたんですね

時刻改正の前日の夜に、この表示の張替え作業が何処の駅でも
よくみられました。

この時代、ホームの列車表示もフラップ式(いわゆるパタパタ)
で、これが切り替わる際にとっくに廃止された列車名が一瞬でも見えると
お得な気分になったもんです。
この時代になかった、しおじ、つばめ、月光等々

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これはポートピア関連で雷鳥が三ノ宮延長された時のパタパタ表示


今やパソコンで入力するだけ
これ味があってよかったけどなー
この手の表示はパタパタが視認性も良く、雰囲気も好きでした。

by coffee8ban | 2017-03-09 20:40 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)
66のデーターとともに
こんなのもでてきた。


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餘部鉄橋 凸+長ナノ12系(白樺)
多分、1985年頃

この当時いわゆるジョイフルトレイン花盛りで
どこの管理局でも1本以上はこの手の列車を持っていた。
そして、その運用が今では考えられない広域運用で
この写真の長ナノ(いわゆるナノ座)も長野から山陰線まで
乗り入れたのである。
因みに南シナの江戸もここを通って鳥取方面に行った実績があります。
※これもデーターがありますので、いずれお見せします。

山陰線最後のブルトレ、出雲廃止の頃は餘部俯瞰が雑誌に掲載された
ものだから、誰もかれもが俯瞰場所に行ったようですが
この時代にここを俯瞰しているマニアさんはそんなにはいないと思われる。
実は超マイナー撮影地で、この写真もかなり荒っぽい方法で撮影している。
※木を切り倒すとかではありません。念のため

普通では撮影できない場所で、超メジャーな餘部俯瞰より立ち位置はかなり下
なんですね。

このアングルは多分、私しか撮った事がないと思われます。

この頃から俯瞰に取りつかれていたようで、その病気は不治の病で
当分治りそうにありません。

この写真、カラー(KR)もあるんですけど今回はモノクロです。

久々に見て、懐かしかったモノでつい(笑)

by coffee8ban | 2016-12-20 20:33 | 1980年代のモノクローム | Comments(0)

鉄やその他色々


by coffee8ban
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